アイスダンスの村元哉中さん シングルからアイスダンスへ [フィギュアスケート]
現在、クリス・リードさんとコンビを組まれてアイスダンスで活躍されている村元哉中さんですが、どんな方なのか調べてみました。
※http://sports.yahoo.co.jp/photo/figureskate/all/dt...より引用
◎ 村元哉中さんの略歴
スポンサーリンク
スケートは1998年、5歳の時より始める。
3人姉妹の末っ子で、3歳違いのすぐ上のお姉さんはスケート選手(現在は引退されタイでスケートコーチ)の村元小月(むらもと さつき)さん。
※http://matome.naver.jp/odai/2143640146590899601/21...より引用
しかし、一番上のお姉さんはスケートはなさってないそうです。
◎ 村元哉中さんがスケートを始められたきっかけは?
村元哉中さんがスケートを始められた1998年当時、村元一家は神戸市にお住まいでした。
幼馴染と「神戸ポートアイランドスケート場」に遊びで滑りに行った時に、そこに勤めていらしたスケートコーチの方から「(スケート)教室に入らない?」と誘われたんだそうです。
それがきっかけで、一緒に遊びに行っていた幼馴染の方、そしてお姉さんの村元小月さんと一緒に教室に入り本格的にフィギュアスケートを習い始めたと言うことです。
元々、お姉さんがやってたからと言うわけではなく、一緒に始められたんですね。
◎ シングルでの活躍
何年かは幼馴染の方も一緒にスケートをされていたそうですが、途中から幼馴染の方はテニスの方に行ってしまい、スケートはずっとお姉さんの村元小月さんと続けていらっしゃいました。
お姉さんの村元小月さんとは家でもリンクでも常に一緒にいたせいで、お姉さんの村元小月さんが高校生の時までは喧嘩もしょっちゅうだったそうです。
村元哉中さんは、幼い頃からずっとスケート続けてきたのだと思っていましたが、中学生の時に一度スケートから離れた時期があったそうです。
毎日スケートの練習で友だちと自由に遊ぶこともできなく、スケートをやる気もなくなってやめちゃったんだそうです。
やはり、中高校生時代は友達と自由に遊びたいですもんねぇ。
しかし、一度距離を置いてみると改めて良さがわかるというか、やっぱり根っからスケートがお好きだったんでしょう。
物足りなさや「やっぱりスケートって好きだな。大変だけどやりがいがあるな」と感じ、スケートに戻ってこられたのだそうです。
ここで、村元哉中さんのシングルでの成績をざっと見て行きましょう。
●2007年(14歳)
11月24〜25日 第76回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(仙台) 8位
●2008年(15歳)
10日1〜5日 ISUジュニアグランプリ・ゴールデンリンクス(ホメリ) 3位
11月23〜24日 第77回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) 12位
●2009年(16歳)
11月4〜8日 2009年ニース杯(ニース) 4位
12月25〜27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権(門真) 17位
●2010年(17歳)
8月25〜28日 ISUジュニアグランプリ・クールシュヴェル(クールシュヴェル)17位
12月24〜27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) 10位
●2011年(18歳)
4月7〜10日 2011年トリグラフトロフィー(イェセニツェ) 2位
11月10〜13日 2011年クリスタルスケート(ブラショフ) 3位
12月22〜26日 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真) 17位
●2012年(19歳)
3月8〜11日 2012年チャレンジカップ(ハーグ) 7位
11月16〜18日 2012年メラーノ杯(メラーノ) 7位
12月20〜24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) 16位
●2013年(20歳)
12月20〜23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権(さいたま) 17位
※http://matome.naver.jp/odai/2133457656872111001/21...より引用
好きなスケート選手は、やはり浅田真央さんや荒川静香さん、幼いころには太田由希奈さんなどのお名前を上げていらっしゃるようです。
しかし、小学生の頃は《スケートが好き》でフィギュアスケートをやっていらしたようですので、特に目標とする選手は、はっきりとはなかったようですね。
それでも、中高生になり上達してきた時には浅田真央さんなどのように上手になりたいと思ったそうです。
スポンサーリンク
村元哉中さんシングル時代、2012年ハーグでのチャレンジカップの映像がありましたので、貼り付けておきます。
ショートプログラムから。
15 Kana Muramoto Senior Ladies Short Program Challenge Cup 2012.mpg
続いてフリースケーティングです。
12 Kana Muramoto Senior Ladies Free Skating Challenge Cup 2012
アイスダンスには全然興味がなかった村元哉中さんでしたが、2010年にバンクーバーで開催された冬季オリンピックでのアイスダンスの演技の動画を観てから「アイスダンスってすごいな」と少しずつアイスダンスに対しての感じ方が変わってきたようです。
◎ シングルを続ける不安、そしてアイスダンスへの転向
その頃から、周囲の方々からも試合が終わった後などに「ほんと、哉中ちゃん踊るよね。アイスダンスよさそう」とよく言われていたそうで、何度か「アイスダンスやってみない?」と言う声をかけられていたそうです。
しかし、当の村元哉中さん本人はシングルで頑張ると決めて大学に入ったので、なかなか転向する勇気が出なかったそうなんです。
そんな村元哉中さんでしたが、彼女に転機が訪れたのは大学の2回生になった時でした。
大学2回生というと、20歳くらいですね。
確固たる意志でシングルを続けてきた村元哉中さんですが、身体に変化があったり周りの人たちがすごく上手になってきて「自分はこれから頑張っても上に行けない」という風にモチベーションがダウンしちゃったと言うんですね。
あと2年シングルで頑張れるか不安になってしまった、そんな時に「アイスダンスのトライアウトがあるんだけどやってみない?」と声をかけられました。
アイスダンスのトライアウトとは、アイスダンスに興味がある男女が集まってパートナー探しも兼ねて一緒にスケーティングをしてみたりするんだそうです。
その頃には村元哉中さんもアイスダンスに興味を持たれておりましたので、「どんなスケーティングをするんだろう?」と言う興味本位と「一度経験してみようかな」という軽い気持ちでトライアウトに参加されたんだそうです。
村元哉中さんはアイスダンスのトライアウトに行く前は、アイスダンスは〈簡単そう〉に見えていたようなんですね。
しかし、いざ実際に滑ってみるとシングル以上に難しく「スケートの基礎が本当に必要だ」と感じ、むしろシングルより興味深く思われたそうです。
このトライアウトで、最初のパートナーである野口博一さんと出会いました。
野口博一さんとは、一通り滑ったあとに《一緒に滑ってみたいスケーター》の希望を取る段で、互いに互いの名前を書いたんだそうです。
すぐさまスケート連盟の方に呼ばれて「お互い滑りたいということで、やってみますか?」ということで、互いのコーチも交え話が進んでいきました。
話し合いの結果、村元哉中&野口博一組のアイスダンス・カップルは海外を拠点に活動を開始することになります。
※http://figure-skating-2ch.seesaa.net/article/39117...より引用
村元哉中さんはその時の気持ちを「(海外を拠点にすることに不安は)全く無かったです(笑)(高校卒業までずっとインターナショナルスクールに通っていたので)英語も話せますし、前から海外に住みたいというのがあったので、むしろ楽しみの方が大きかったです!」とおっしゃっております。
いよいよ、村元哉中さんのアイスダンスのトレーニングが始まります。
つづきは
アイスダンス・カップル「かなヒロ組」スタート!!そしてカップル解消
関連記事
世界フィギュア2016競技初日 アイスダンス[SD]・男子シングル[SP]の結果
世界フィギュア2016競技2日目 女子シングル[SP]・アイスダンス[FD]の結果
世界フィギュア2016競技3日目 ペア[SP] ・男子シングル[FS]の結果
世界フィギュア2016競技4日目 女子シングル[FS]の結果
世界フィギュア2016大会最終日 エキシビション
スポンサーリンク
※http://sports.yahoo.co.jp/photo/figureskate/all/dt...より引用
◎ 村元哉中さんの略歴
村元哉中(むらもと かな)
平成5(1993)年3月3日 兵庫県明石市出身
神戸カナディアンアカデミー国際学校卒業
関西大学人間健康学部在学中
スケートは1998年、5歳の時より始める。
3人姉妹の末っ子で、3歳違いのすぐ上のお姉さんはスケート選手(現在は引退されタイでスケートコーチ)の村元小月(むらもと さつき)さん。
※http://matome.naver.jp/odai/2143640146590899601/21...より引用
しかし、一番上のお姉さんはスケートはなさってないそうです。
◎ 村元哉中さんがスケートを始められたきっかけは?
村元哉中さんがスケートを始められた1998年当時、村元一家は神戸市にお住まいでした。
幼馴染と「神戸ポートアイランドスケート場」に遊びで滑りに行った時に、そこに勤めていらしたスケートコーチの方から「(スケート)教室に入らない?」と誘われたんだそうです。
それがきっかけで、一緒に遊びに行っていた幼馴染の方、そしてお姉さんの村元小月さんと一緒に教室に入り本格的にフィギュアスケートを習い始めたと言うことです。
元々、お姉さんがやってたからと言うわけではなく、一緒に始められたんですね。
◎ シングルでの活躍
何年かは幼馴染の方も一緒にスケートをされていたそうですが、途中から幼馴染の方はテニスの方に行ってしまい、スケートはずっとお姉さんの村元小月さんと続けていらっしゃいました。
お姉さんの村元小月さんとは家でもリンクでも常に一緒にいたせいで、お姉さんの村元小月さんが高校生の時までは喧嘩もしょっちゅうだったそうです。
村元哉中さんは、幼い頃からずっとスケート続けてきたのだと思っていましたが、中学生の時に一度スケートから離れた時期があったそうです。
毎日スケートの練習で友だちと自由に遊ぶこともできなく、スケートをやる気もなくなってやめちゃったんだそうです。
やはり、中高校生時代は友達と自由に遊びたいですもんねぇ。
しかし、一度距離を置いてみると改めて良さがわかるというか、やっぱり根っからスケートがお好きだったんでしょう。
物足りなさや「やっぱりスケートって好きだな。大変だけどやりがいがあるな」と感じ、スケートに戻ってこられたのだそうです。
ここで、村元哉中さんのシングルでの成績をざっと見て行きましょう。
●2007年(14歳)
11月24〜25日 第76回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(仙台) 8位
●2008年(15歳)
10日1〜5日 ISUジュニアグランプリ・ゴールデンリンクス(ホメリ) 3位
11月23〜24日 第77回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) 12位
●2009年(16歳)
11月4〜8日 2009年ニース杯(ニース) 4位
12月25〜27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権(門真) 17位
●2010年(17歳)
8月25〜28日 ISUジュニアグランプリ・クールシュヴェル(クールシュヴェル)17位
12月24〜27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) 10位
●2011年(18歳)
4月7〜10日 2011年トリグラフトロフィー(イェセニツェ) 2位
11月10〜13日 2011年クリスタルスケート(ブラショフ) 3位
12月22〜26日 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真) 17位
●2012年(19歳)
3月8〜11日 2012年チャレンジカップ(ハーグ) 7位
11月16〜18日 2012年メラーノ杯(メラーノ) 7位
12月20〜24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) 16位
●2013年(20歳)
12月20〜23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権(さいたま) 17位
※http://matome.naver.jp/odai/2133457656872111001/21...より引用
好きなスケート選手は、やはり浅田真央さんや荒川静香さん、幼いころには太田由希奈さんなどのお名前を上げていらっしゃるようです。
しかし、小学生の頃は《スケートが好き》でフィギュアスケートをやっていらしたようですので、特に目標とする選手は、はっきりとはなかったようですね。
それでも、中高生になり上達してきた時には浅田真央さんなどのように上手になりたいと思ったそうです。
村元哉中さんシングル時代、2012年ハーグでのチャレンジカップの映像がありましたので、貼り付けておきます。
ショートプログラムから。
15 Kana Muramoto Senior Ladies Short Program Challenge Cup 2012.mpg
続いてフリースケーティングです。
12 Kana Muramoto Senior Ladies Free Skating Challenge Cup 2012
アイスダンスには全然興味がなかった村元哉中さんでしたが、2010年にバンクーバーで開催された冬季オリンピックでのアイスダンスの演技の動画を観てから「アイスダンスってすごいな」と少しずつアイスダンスに対しての感じ方が変わってきたようです。
◎ シングルを続ける不安、そしてアイスダンスへの転向
その頃から、周囲の方々からも試合が終わった後などに「ほんと、哉中ちゃん踊るよね。アイスダンスよさそう」とよく言われていたそうで、何度か「アイスダンスやってみない?」と言う声をかけられていたそうです。
しかし、当の村元哉中さん本人はシングルで頑張ると決めて大学に入ったので、なかなか転向する勇気が出なかったそうなんです。
そんな村元哉中さんでしたが、彼女に転機が訪れたのは大学の2回生になった時でした。
大学2回生というと、20歳くらいですね。
確固たる意志でシングルを続けてきた村元哉中さんですが、身体に変化があったり周りの人たちがすごく上手になってきて「自分はこれから頑張っても上に行けない」という風にモチベーションがダウンしちゃったと言うんですね。
あと2年シングルで頑張れるか不安になってしまった、そんな時に「アイスダンスのトライアウトがあるんだけどやってみない?」と声をかけられました。
アイスダンスのトライアウトとは、アイスダンスに興味がある男女が集まってパートナー探しも兼ねて一緒にスケーティングをしてみたりするんだそうです。
その頃には村元哉中さんもアイスダンスに興味を持たれておりましたので、「どんなスケーティングをするんだろう?」と言う興味本位と「一度経験してみようかな」という軽い気持ちでトライアウトに参加されたんだそうです。
村元哉中さんはアイスダンスのトライアウトに行く前は、アイスダンスは〈簡単そう〉に見えていたようなんですね。
しかし、いざ実際に滑ってみるとシングル以上に難しく「スケートの基礎が本当に必要だ」と感じ、むしろシングルより興味深く思われたそうです。
このトライアウトで、最初のパートナーである野口博一さんと出会いました。
野口博一さんとは、一通り滑ったあとに《一緒に滑ってみたいスケーター》の希望を取る段で、互いに互いの名前を書いたんだそうです。
すぐさまスケート連盟の方に呼ばれて「お互い滑りたいということで、やってみますか?」ということで、互いのコーチも交え話が進んでいきました。
話し合いの結果、村元哉中&野口博一組のアイスダンス・カップルは海外を拠点に活動を開始することになります。
※http://figure-skating-2ch.seesaa.net/article/39117...より引用
村元哉中さんはその時の気持ちを「(海外を拠点にすることに不安は)全く無かったです(笑)(高校卒業までずっとインターナショナルスクールに通っていたので)英語も話せますし、前から海外に住みたいというのがあったので、むしろ楽しみの方が大きかったです!」とおっしゃっております。
いよいよ、村元哉中さんのアイスダンスのトレーニングが始まります。
つづきは
アイスダンス・カップル「かなヒロ組」スタート!!そしてカップル解消
関連記事
世界フィギュア2016競技初日 アイスダンス[SD]・男子シングル[SP]の結果
世界フィギュア2016競技2日目 女子シングル[SP]・アイスダンス[FD]の結果
世界フィギュア2016競技3日目 ペア[SP] ・男子シングル[FS]の結果
世界フィギュア2016競技4日目 女子シングル[FS]の結果
世界フィギュア2016大会最終日 エキシビション
コメント 0